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光照寺1 吉利倶山玉泉院光照寺という高野山真言宗のお寺。本尊は阿弥陀如来。 関東八十八ヶ所第26番札所。 蓮華王院には千手観音が祀られ、 那須三十三観音の結願寺。 |
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光照寺2 創建は天文2年(1533)、僧宥全により創建された。 境内の弁天堂には弁財天が祀られ、八溝七福神の一つになっている。 また、境内には樹齢450年のイチョウの木がある。 |
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那須八幡塚古墳 吉田富士山古墳に隣接して那須八幡塚古墳がある。 後方部長31.5m、幅36m、高さ6.5m、前方部長29m、幅16mの前方後方墳。 4世紀中ごろに造られた古墳で、雙鳳鏡(中国鏡)などが出土している。 墳丘には葺石があり、周溝も認められている。 吉田温泉神社古墳 4世紀中ごろに造られた古墳で、全長47mの前方後方墳。 後方部は削平され、神社が建つ前方部のみ残る。 葺石や埴輪は確認されていない。 周辺には20基ほどの古墳が確認されている。 |
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馬頭院 建保5年(1217)醍醐寺第27、30代座主である光宝和尚により開創。 創建当時の本尊は地蔵菩薩で、寺名は「勝軍山地蔵院十輪寺。 元禄5年(1692)、徳川光圀により、本尊を馬頭観世音菩薩に、寺名を武茂山十輪寺馬頭院に改めた。 境内にはその時に植えた枝垂れ栗が残る。 |
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唐の御所 北向田・和見横穴群で一番高いところにあり、 真南に開口した奥行4.78mの横穴墓。 天井部が切妻屋根のような形になっている。 横穴墓上方には墳丘を伴うものとみられる。 周囲には姫穴や厩穴など86基の横穴墓が見つかっている。 |
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馬頭郷土資料館1 那珂川町の縄文時代からの歴史文化を展示している。 また、2階展示室では古くから金の産出地であった馬頭町の産金の歴史、 町の特産品である小砂焼の歴史を紹介している。 ここでは古墳時代の文化を紹介する。 |
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馬頭郷土資料館2 古墳時代前期は那須小川古墳群を中心とした 前歩以降方墳が築かれ、那須野中心であった。 古墳時代後期になると、前方後円墳である川崎古墳や 北向田古墳が作られ、 から御所を含む北向田・和見横穴墓群が作られた。 |
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静神社 往古より馬頭町に鎮座し、創建は詳らかではない。 元は八幡宮と称し、武茂城の守り神であった。 後には佐竹氏が守護神として崇敬保護した。 江戸時代になり、徳川光圀により「静神社」と改名した。 |
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乾徳寺1 龍澤山大渓院乾徳寺という曹洞宗のお寺。 創建は明応8年(1499)宇都宮正綱の子兼綱が 武茂家の名跡を継ぎ、居城である武茂城を大修理した際、 舜方和尚を招き開山したのが始まり。 |
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乾徳寺2 乾徳寺は武茂家の菩提寺として寺運も隆盛した。 佐竹時代には佐竹氏が秋田移封に伴い、 一時的に衰退したものの、江戸時代に入り、27石の朱印を賜った。 本尊は釈迦牟尼仏で、八溝七福神の福禄寿を祀る。 |
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武茂山神社 創建は大同元年(806)と伝わる古社で、 延喜式神名帳の式内社下野十一社の一つ。 当地は古くは優良な砂金算出の山として、黄金山神社(宮城県とともに 東大寺の大仏鋳造に使用されたと記録されている。 祭神は日本武尊、金山彦命を祀る。 |
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栃木県歴史散歩 | |||||||||||||||||
1.大田原1 2.大田原2 3.大田原3 4. | |||||||||||||||||
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